キャンピングカー Pキャンプ旅行記

我が家の『行き当たりばっ旅

10年目の『夏休みPキャンプ旅行』・・・
1999年8月1日〜8日、7泊8日の親子4人の旅行

まえがき
長男が4歳の夏から始めたオートキャンプ旅行も早10年。
人ごみを逃れ、近場の山で2泊3日のオートキャンプを始めたのが運のつきで、
最近では盆休み頃の混雑を避け、
いつのまにか、1週間にもおよぶ観光旅行に発展した。

“百聞は一見に然ず”
私も子供たちも、テレビや教科書では味わえない社会勉強をしている。
たまの休日を、旅館でのんびり骨休めをするのも結構だが、
狭い日本と言えども、くまなく見聞して回るには一生かかっても足りないだろう。
自分も子供たちにも、見聞を広げさせてあげたいとの思いから、
自由気ままなパーキングキャンプ旅行はやめられない。
登場人物紹介
私        40歳。(なってしまった!)
        仕事:建築設計事務所主宰
        従業員がいるわけでもないので、好きなときに休みにできる。
        (仕事のけりをつけるのがたいへんだが)
YOU      39歳 結婚早15年
        仕事:音楽教室主宰
        子供から大人まで、ピアノや電子オルガンを教えている。
KAZU    13歳11ヶ月 男
        中学2年生
        小学校1年から、他県へのキャンプ旅行に出ているので、
        特に社会科は、体験的に良く知っていてよく出来る。
        スキーは10年、レジャーとしては十分滑れる。
        幼稚園からの愛読書は、昆虫図鑑と国語辞典とドラえもん。
        最近では、英和辞典も愛読書のようだ。
        ドラえもんグッズの収集は、数百点におよぶ。 
        幼稚園時から虫博士、漢字博士として名をはせ、
        小学校から中2まで、合唱のピアノ伴奏を、
        クラスや学年代表として弾き続けている。
        小6からは、パソコンDTMで作編曲も手がける。
        苦手は体育系。
MASA    6歳9ヶ月 男
        小学校1年生
        親の教えをまったく聞かないやんちゃ坊主。
        幼稚園年少時は、教室にいない、みんなと同じことができない、
        遊戯の練習は一度も参加しないが、
        本番の発表会では、みんなと合わせて踊り先生をあっと言わせた。
        “あいうえお”の読み書きを独学でマスターして、
        カタカナも数字も時計も漢字も、
        一切親に教わらないでマスターしてしまう、つかみ所のない子供。
        虫には全く興味を示さず、無理やり蝉取りに連れていったほど。
        スキーも教わらないから、まだボーゲンができない。
        ピアノは、最近ようやく教わらないと弾けないことが分かったらしいが、
        練習嫌いなので、兄ほどには弾けない。
        苦手はゴキブリなどの虫。大騒ぎして逃げ回る
MARUちゃん  潟Aイズ 製キャンピングカー
        アイズ社の『MULTI』を自分流にアレンジした、
        言わばワンオフキャンパーと言える。
        1997年式ハイエース スーパーロング特装 3.0gターボ 4WDがベース車。
        2座、2座、2座の6人乗りだが、来年には大幅改造の予定。
        走行性能と、セカンドのキャプテンシートの座り心地は抜群。
        今回の旅行で2万`突破した。
下調べ
今年も昨年と同様、
KAZUの奈良薬師寺3泊4日の『夏休み寺小屋』の解散に合わせスタート。

1泊目の宿泊地は、
奈良を起点に、半日で温泉と宿泊できる駐車場に到達できることが条件。
北陸と南紀方面は既に廻っているので、中国道方面で検討することに。
山陰は13年前に旅行しているので外し、
山陽を訪ねようと調べたが、温泉と道の駅がほとんどないので×。

知らない土地では、
前もって泊れるトイレ付駐車場と、日帰り温泉施設の目星をつけておきたい。
一人旅なら何とでもなるが、家族連れでは無謀というもの。

そこで、薬師寺から半日で着く中国道至近の湯原温泉に目星をつけた。
そして、今世紀中には見ておきたい広島原爆ドーム
それから、道の駅が豊富にある四国を回ろうと思い立った。
“行き当たりばっ旅”の看板に偽りありともいえるが、
ある程度、観光名所と温泉、道の駅、道路事情、距離などを大まかに把握しておいて、
臨機応変に行き当たりばっ旅をしている。

また、旅先の情報源としてインターネットが、おおいに役に立った。
観光地の駐車場案内、温泉・銭湯情報、観光情報など、
この辺の書店の観光ガイドには載ってない、最新で詳細な情報が手に入った。
A4をA5サイズに縮小印刷して200ページにもおよぶオリジナル観光ガイドとなり、
見知らぬ土地の旅行におおいに役に立った。
もちろん、用意したすべてに行ったわけもなく、調べてなかったところにも行くなど、
気ままな旅の一助となった。



旅の始めは奈良から
8月1日
旅のはじまりは、KAZUを奈良薬師寺へ迎えに行くことから。
昼過ぎ浜松を発ち、豊田ICから国道23号・伊勢湾岸道・国道23号・国道1号を
のんびりと走り亀山市のファミリーレストランで夕食をとる。

国道25号を西へと向かい、夜8時頃に天理の手前のPAにトイレ休憩に入った。
すると、浴衣姿のアベックらがフェンス越しに遠くを見ているようだ。
その方向に視線を向けてみると、
遥か彼方の闇空と山の稜線の交じり合うあたりに豆粒のような花火が瞬いている。
翌日の新聞で分かったのだが、大阪富田林の花火だったらしい。
真夏だというのに、涼しい風が吹いて暑さを感じられない花火見物だった。

奈良での宿泊は、奈良市街に近い木津町の国道24号沿い駐車場と決めている。
台風7号が沖縄に近くにある影響からか、涼しい夜風が吹き荒れている。
ありがたいことにエンジンの熱も早く冷め、
昨年とは違って、暑くもなく快適な眠りについた。
暴風温泉、もとい湯原温泉へ
8月2日
寺子屋の解散は11時。
早めに薬師寺に行って本尊を拝み、
写経道場で般若心経の写経をしながらのんびりと解散を待った。
朝4時半起床、寺掃除、お経、食作法、法話などの修行に、
喉の渇きと空腹を堪えながら耐えたKAZUは、
二年目の余裕からか平然とした顔で出てきた。
薬師寺  奈良「薬師寺」

奈良市内で昼食後、
第二阪奈道路、近畿自動車道、中国自動車道、米子自動車道と230`余りを
休み休み走り4時過ぎに湯原温泉に到着した。

湯原ダムを背景にした川原の露天風呂「砂湯」は、
湯原ダムの直下にあり、年間50万人近くも入浴するという。
露天風呂番付の西の横綱というだけあって、
昼間というのにたくさん人が入浴していました。

ほとんど男性ばかりの露天風呂見物を渋るYOUらは車で休憩。
MASAと二人で露天風呂散歩に出た。
“温泉大好き小僧”は、温泉に入りたくてしょうがない。
子供だからなりふり構わず、さっさと裸になって入ってしまった。
温水プール気分ではしゃぐ雅を暫らく監視しながら野趣満点の風情に浸りました。

湯原温泉  湯原温泉「砂湯」
YOUが、ちゃんとした温泉に入りたい様子で、
ここから少し下にある露天風呂温泉施設「ひまわり館」で入浴してきた。
ダム直下の道路傍に車を止めて今夜の寝場所とし、
夕食の仕度をしたい。
ところが、ガスコンロの炎が「ボーボー」と強風に吹かれて燃焼効率が悪い。
外ではとても出来ない。

上空を早い雲が流れて、
車体を大きく揺らす川下からの強い風は、
夏だというのに寒いくらい。
雨が降らないのが幸いだ。
雨が降ったら、とてもこんな所には長居はできない。
我が家では、ここを『暴風温泉』と呼ぶことにした。

夕食後、私はひとりで「砂湯」に行った。
老若男女問わずひっきりなしに人がやってくる。
さすがに西の横綱だ。
闇夜を吹き抜ける強風は冷たく、いつまでも浸かっていたい。
しかも、少しぬるめの湯だから、いつまででも入っていることができる。
結局私は、心配したKAZUが迎えにくるまで1時間も入っていた。

車を揺らすほどの強風で、車内は涼しいほどで今晩も心地よく寝られる。
午前3時頃にトイレに目が覚めると、露天風呂からにぎやかに話し声が聞こえる。
ここは24時間入浴する人がいるのか?
西の横綱と言われるだけのことはある。
広島平和公園
8月3日
朝食後、ダムを背景に記念写真を撮って湯原温泉を出発する。
米子自動車道、中国自動車道、広島自動車道、山陽自動車道と220キロ余りを広島へと走る。

昼前に広島平和公園近くのインターネットで探しておいた駐車場に着いたが、
車高が高すぎてダメだと言われた。
少し走りまわって探してみたがなさそうだ。
「パーキングチケット(60分)しかないのかなぁ」
と途方に暮れながらもう一度だけ回ってみようとした時、
公園周辺を巡回しているお巡りさんが目にとまり、
聞いてみたが良い返事はもらえなかった。

パーキングチケットに回ろうとしたその時、
平和大通り沿いの並木の中に市営の野天駐車場が目にとまった。
ちょうど空いていてラッキー。

とりあえずお昼なので腹ごしらえということで、
繁華街に向かって歩き出すが、
日差しとビルからの照り返しがたまらなく暑い。

折角広島に来たのだから
「お好み焼き”を食べなきゃぁ」
と探していると、『うずしお』という看板の店がった。
雑居ビルの細い階段を上がった2階の店内には、
大山のぶよの写真とサインが飾られ、たいへん繁盛していた。

広島は、やはり実物を見るべきだ。
実物の原爆ドームの前では息を飲む。
広島の町を一瞬にして瓦礫と死体やけが人だらけにされたと思うと
アメリカが憎い気持ちになる。

原爆ドーム  広島「原爆ドーム」
平和記念資料館では、数々の悲惨な展示に見入ってしまった。
すると、雅が折り方の説明図をみながら一生懸命鶴を折っていた。
きっとこの折り鶴の意味を、小学一年の雅は理解できないだろう。
でも、へたくそながらも真剣に取り組んでいる姿に目が熱くなった。
MASAは二羽、私も鶴を一羽折り、
大勢の人達がつなげた折り鶴にテープで貼り付けてきた。

広島IC近くのファミレスで夕食後、
インターネットで探しておいたスーパー銭湯「ゆーゆーえびす」で昼間の汗を流した。
広島東ICから尾道ICまで山陽自動車道、
西瀬戸尾道ICから西瀬戸自動車道(しまなみ街道)を走り、
午後10時、最初の大浜PAに着いた。
ここ因島、今日はさすがに暑い。
エンジンの熱が冷める時間もないので、アイドリングでエアコンつけて寝ることにする。
海道をゆく
8月4日
しまなみ街道は全線開通しているものと勘違いをしていた。
生口島と大島は国道を走らなければならなく、
10時頃には道後温泉に着いて、
ゆっくり温泉につかり、昼食をと思い描いていた目算が狂った。

しまなみ街道沿いには、
耕三寺、シトラスパークといった名所旧跡はたくさんあるのだが、
またの機会として、今回は車窓からの眺めを楽しむ。

生口島の瀬戸田PAから世界一の斜張橋の多々羅大橋を眺め、
大島の宮窪ICでは、8月4日は『はしの日』で、
しまなみ街道のレジャーシートをもらって大喜び。
最後の来島海峡大橋は、3橋合わせて4、000bもある。
通行車両が少ないので、景色を眺めながらなるべくゆっくりと渡った。
渡りきった来島海峡PAであらためて橋を眺め、
しまなみ海道の7つ橋の橋で、陸続きに四国まで来れることに感激!

道後温泉

今治からは、海沿いの国道196号を松山へ向かったが、
道のりの中ほどで突然渋滞になり10分ほど全く動かない。
対向車も全くこない。
この先、事故でもあったのだろうか?
意を決してUターン、
カーナビを頼りに細い山越の道を10分ほど走って元の国道へ出た。
果たして早道だったのか分からないが、
道後温泉に着いたのは11時ちょっと過ぎてしまった。

テレビなんかで見るまんまの『道後温泉本館』
時間がもったいないので、
『神の湯階下』で休憩なしの入浴だけでリーズナブルに済ますことにした。
湯煙の漂う中、どっしりとした湯釜が、長い歴史と風格を醸し出していた。


道後温泉  松山「道後温泉」

お土産に名物『タルト』を買って足早に松山を後にし、
昼食は、松山自動車道を走りながらコンビニのおにぎりで済ました。
南国土佐へ
川之江JCTからは高知道へ。
まさか、一生来ることはないと思っていた南国土佐にまで来てしまった。
南国ICから、国道195号を東へ走った。
建築雑誌にも取り上げられた高知工科大学を過ぎたあたりから、
空が真っ黒くなり土砂降りになったが、
『アンパンマンミュージアム』に着く頃には止んでくれた。
実害なし。今のところ風以外は天候に恵まれている。

我が家では、お金のかかる遊園地のような娯楽施設には、
ほとんど遊びに行かないので、
寺社仏閣、博物館などに飽き飽きしているMASAは、
小学校1年生ではあるが大喜びで、いつまでも真剣に展示を見入っていた。

高知空港の滑走路下をくぐる道を通り浦戸大橋を渡って、
坂本竜馬記念館駐車場に着いたのは5時40分。
西陽が暑い。
閉館後で、記念館の駐車場はだれもいない。
台風の影響だろうが、太平洋の荒い波しぶきと轟音にはびっくり。
西の海岸線は、舞い上がったしぶきで霧に煙って見える。
「竜馬もここから世界を見据えていたのかぁ?」

日没間際、逆光ぎみ見る竜馬像は想像よりもでかい。
浜松城公園の家康像の比ではない。
夕暮れ間際の桂浜の散策を楽しみ、今日の観光はこれでおしまい。
竜馬像 高知桂浜「坂本竜馬像」
高知に来たからには、
「海の幸を食べにやぁ、あかんぜよ」
と夕食は海鮮料理屋で、久しぶりの和食で腹を満たした。

高知市街を走っていると、ところどころでよさこい踊りの練習をしている。
はりまやの大きな交差点のむこうに、はりまや橋が見える。
歌にも聞く有名な橋だから、どんなに立派な橋かと思っていたが、
公園になった細い川に、朱色の欄干のかわいい太鼓橋が架かっている。
折角ここまで来たのだからと路上駐車をして、
YOUとKAZUだけ降りて記念写真を撮ってきた。
秘境祖谷へ
今日の寝ぐらは、祖谷の道の駅と決めてる。
事前の調べでは、高知近辺には道の駅がなかったからで、
道の駅以外にも、パーキングキャンプができそうな駐車場があるかもしれないが、
ここまで走った限りでは見当たらなく、
あるかどうかも分からないのに探し回るのも無駄な気がして、
まだ50`ぐらいは走らなければならないが、
頑張って走り出す。

8時40分、高知ICから、高知自動車道に入った。
10時までには祖谷に着きたいと走ると、
大豊ICの手前い交通情報看板が・・・
先日の雨で国道32号線が崩れ通行止めになっているらしい。

大豊ICから国道32号を経由して祖谷に行くつもりだが・・・
祖谷までは行けるのか?
大豊ICの料金所を抜ける前に車を止めて、私は地図を持って管理事務所に行った。
「祖谷まで行きたいのだけど。」
「国道が通行止めと書いてあったんだけど、行けるのでしょうか?」

「インターを出たら左に曲がって・・・」
なんとか行くことができるらしい。
うろ覚えの道順を辿って、小型車のみ通行可の狭い迂回路に入った。
途中からは、すれ違い不可能な狭い道の部分は片側交互通行になっていて、
10分ちょっと待たされたが、無事迂回することができた。

朝8時過ぎ広島県因島を出て、愛媛、高知、
そして徳島県祖谷の道の駅『にしいや』に辿り着いたのは10時37分。
今日は随分走った。一日中走っていたような気がする。
こんな山奥でも暴走族のような兄ちゃんはいるようだ。
時折けたたましいバイクが走り去る以外は何の音も聞こえてこない。
4泊目の夜は、風もなく静かな眠りについた。
祖谷かずら橋 祖谷峡「かずら橋」
こわ〜い かずら橋
8月5日
朝早くから、地元のおばあちゃん達が道の駅の掃除してくれた。
ゴミ一つ落としては行けないなと、MARUちゃんの回りを見まわす。

『かずら橋』へ向かう途中では、
土石流が流れ込んで修復工事をしている鉄筋のホテルや、
道路の崩壊現場があったり、いたる所に豪雨の爪痕がある。
天気が悪くなったら長居をするところではない。

かずら橋に一番近い駐車料金は管理人見張っているわけでもなく、
駐車料金の200円を入れる缶がぶらさがっているだけのおおらかな所でした。
缶の中を覗くと、あまりお金は入ってなかったが、
正直に二百円放り込こんで、橋へ向かう。

並んで架かる橋から、かずら橋を間近に眺めると、
長さ45b、幅2b、高さ15bほどのかずら橋はそれほど怖そうに見えない。
渡橋料金を支払って、
KAZUとYOUにビデオと写真撮影を頼んで、
まずは私と怖い物知らずのMASAの2人で渡りはじめた。

春の十津川『谷瀬の吊橋』でへっちゃらだったMASAは、
相変わらずへっちゃらな顔をして
「怖くないもん!」
とどんどん渡ろうとする。

葛(かずら)をロープにして架けられた吊り橋は、
足元の丸太は、隙間だらけに渡してあるだけで、
MASAの身体ぐらいスッポリと抜け落ちてしまいそうなぐらい
粗いところもある。
足がすくんで怖いほどの高さではないが、
デコボコした丸太は濡れて滑りやすく、
ゆらゆら上下左右に揺れ、ものすごく歩きにくい。

はやる気持ちのMASAの手を、ギュっと握り締め
ゆっくりゆっくりと渡った。
はやる雅の手をしっかりと握り締めてゆっくり
と慎重に渡りました。

代わって渡るのはKAZU。
谷瀬の吊橋同様、恐怖に引きつった表情でへっぴり腰になり、
かずらにつかまりながら、足がなかなか前に進まない。
「やぁ〜い!」
「怖いんだろう!」
と冷やかしながら、写真とビデオを撮りながら渡り終えるのを待った。
自分で運転するケーブルカー
昨日は夕方、風呂に入れなかったので朝風呂と決め込む。
祖谷渓を池田町側に少し下ったところに一軒宿の『祖谷温泉』がある。
ここは、祖谷渓の深い谷底にある露天風呂があって、
ホテルより170b谷底まで250bのケーブルカーで昇降する。
それも自分で運転するという変わり種の温泉だ。

ホテル駅のおじさんから、注意事項と操作方法をひと通り教えられて乗り込んだ。
「出発進行!」
とばかりに、私がボタンを押してスタートする。
谷底までの傾斜がきついので、ケーブルカー内部も前と後では相当の高低差がある。
20席ほどの椅子が階段状に取り付けられ、
屋根と壁の覆いが取り付けられている感じだ。

運転といっても、
ドア閉めの確認をしてスタートボタンを押すのみで、
あとは谷底までオートマチックに運んでくれる。
眼下に広がる祖谷渓谷のパノラマは秘境ムード満点、
背後には、ケーブルカーの軌道と、
山の稜線からは青い空と白い雲が見えるだけ。
他には、一切何も見えない。
まさに秘境気分だ!

無人の谷底駅から階段を下ると、
男女別の脱衣室と露天風呂があるだけ。
ケーブルカー代を含む入湯料金は大人1500円。
下手な遊園地よりも楽しかった。

祖谷渓を下って国道32号線に出る。
池田町を通り、吉野川を渡って讃岐山脈を越えるといよいよ香川県です。
一日半で四国4県に来てしまったんだから、何と強行軍だろう。
金刀比羅宮参拝はリタイヤ
昔、地理で満濃池に代表される溜池の讃岐平野を習ったが、
今でもあちこちに溜池が点在している。
♪「こんぴらふねふね・・・」
そろそろ腹も空いてきた。
「讃岐はやっぱり讃岐うどんを食べなきゃあ!」
ということで、琴平駅近くの駐車場に車を止め、
金刀比羅宮門前から外れた、観光客相手に商売していないうどん屋に入りました。
さすがに、地元の舌の肥えた客を相手にしているだけに
本場さぬきうどんの美味に舌づつみ!。

ここまで来たら、金刀比羅宮も参らねばと参道を歩きはじめたが、
この先、長〜い、長〜い石段を登らなければならないとわかりうんざり。
旅の疲れも出始め、バテ気味のYOU、
私もなにがなんでも本宮まで行きたいわけでもない。
暑くもなってきてリタイヤすることに・・・・
土産屋のおばちゃんに
「もう参ってきたの?」
と声をかけられてしまった。

琴平から国道438号を坂出へ向かう。
途中、坂出の手前に『讃岐富士』があるが、
そっくりそのまま富士山を小さくしたように似ている。
地上132bの空中散歩
今回、瀬戸中央自動車道は渡らないので、
せめて四国側の橋のたもとから眺めようと『瀬戸大橋記念公園』にやって来た。
YOUは疲れがたまったのか、MARUちゃんの後ろで熟睡してしまった。
起こすのも気の毒なので、エアコンつけた車内に残したまま、
KAZUとMASAと3人で行くことにした。
瀬戸大橋記念公園は道の駅にもなっていて、
記念館やいろいろな施設が整っている。

まずは、瀬戸大橋タワーに搭乗する。
100人乗りの客室がゆるやかに回転しながら、地上132bまで昇降する。
瀬戸大橋を眼下に、大小の島々や四国・中国の山並みが視界にひろがり、
さながら空中散歩の気分にひたったる
瀬戸大橋記念館では、塩飽諸島の島伝いに橋を架けるための
驚くべきテクノロジーとドラマを、映像や模型で知った。

ここでは、瀬戸大橋を眺めるだけのつもりだったが、
思いがけず長居をしてしまった。
源平合戦の屋島へ行くつもりだったが、
坂出から高松西まで高松自動車道を一区間走り、国道193号を南へ走る。
途中のスーパーで夕飯のおかずを買って走ると、
讃岐の山中に入るにしたがって雲が厚くなってきた。
天気予報によると台風8号が九州の西を北上するらしい。
明日の高知、徳島県の予報は雨。
今晩の寝ぐらとする道の駅『しおのえ』に着いたころから雨が降り出した。
塩江温泉ではじめて降雨にみまわれた
とりあえず、インターネットで検索しておいた塩江温泉のホテル旅館の中から、
一番近い新樺川観光ホテルで入浴をした。
実はこうしたホテルなどで入浴するのは気が進まない。
なぜなら、夕方になると泊り客の入浴時間と重なり、
ホテルの浴衣にスリッパの泊り客から、
普段着に靴を履いたまま大浴場に来る私たちを奇異に見られる気がするからだ。
逆の立場なら、「なんだ!こいつら!」と思う。

さっぱりして道の駅に戻ったが雨は止みそうもない。
おまけに風もあって横なぐりの雨だ。
車外でのご飯の仕度(レトルトのご飯を温めるだけなのだが)はあきらめ
車載の電子レンジを今回初めて使うことにする。

本当は、夏の電子レンジ使用はあまりしたくない。
直流12ボルトをインバーターを使って交流100ボルトに変換して
電子レンジを作動させるのだが、
サブバッテリーだけでは電力消費が大き過ぎるので、
エンジンをかけて状態ですることになる。
当然余分な電力消費を避けたいのでエアコンその他の電気器具は切るから、
雨で窓を締めきっていると、
車内はエンジン熱と電子レンジの排熱から、蒸し風呂と化してしまう。

カセットコンロという手もあるのだが、
MARUちゃんのギャレーは後部にあり、
我が家の使い方では後部は常時ベッドに近い状態にして、寝具や着る物などの
燃えやすいものが散乱しているので、火気はあまり使いたくない。
だから、車内でのんびり過ごせないわけある。

私が車内でご飯を温め、皆は道の駅施設で待っててもらうことにしたが、
7時には施設が閉じられ追い出されてしまった。
今回の旅で唯一雨で困ったが、夕食後は車内で眠たくなるまでくつろいだ。
明日は、鳴門のうず潮を見たいから、天気が良くなることを願っておやすみなさい。
天気は抜群、でも鳴門のうず潮が・・・
8月6日
朝起きたら天気が良くて一安心。
8時、出発間際にテレビを付けると広島の原爆記念式典の模様を中継している。
3日前に見たばかりなので、MASAもどこだか覚えていた。
例年とは違った気持でテレビを観た。

峠を越え、また徳島県に戻った。
脇町ICから徳島自動車道に入ると、
全区間ではないが四国の全自動車道(松山・高知・高松・徳島自動車道)を走ることになる。
徳島ICから国道11号・28号と走り、
鳴門公園駐車場に着いたのは10時ちょっと過ぎ、
平日だけあって山頂施設の一番近いところに停められる。

早速、鳴門のうず潮を眺めたいものだから
『エスカヒル鳴門』と名付けられた
エスカレーターとエレベーターで昇るパノラマ展望台に昇ってみた。
白い雲が点在するだけの良い天気になったもんだ!
日差しが暑いくらい。
青い空と海に映える大鳴門橋と、白く砕ける波がとても美しい。

うず潮見表によると1時半が一番見ごろらしい。
まだ早すぎるらしい。
でも、眺めているうちにも、潮の流れが速くなっていくのが見てとれる。
潮の流れは、渓流を眺めているかのような早さに驚く。
渦を巻くところを何としても見たいと待ち続けたが、
日差しの暑さに負けて展望台を降りた。
鳴門 徳島「大鳴門橋」
見ごろの時間には、まだまだ時間がある。
うずうずさせますという『鳴門大橋架橋記念館』で、
うず潮と橋の展示を楽しんだ。

昼食は、エスカヒルの5階レストラン「ベルヴェデール」の海側の席で、
フランス料理を食べながら渦潮の出現を待とうと洒落こんだが、
ここからは肉眼では見ることが出来なかった。
食事後に再度屋上展望台に上がってみたが、
結局見ることはできなかった。
やはり観潮船に乗って、真近かでなくては見ることができないのだろうか?

余談ですが、このエスカレーターは有料です。
でも、2度目は食事をすると先の半券を見せて昇ることができて、
食事後に払い戻しをしてくれたので、
ただで二往復乗れたことになり大変得をした。

13時30分、いよいよ
「今日は、だめなのかなぁ?」
とうず潮を見るのはあきらめて、鳴門山を後にした。
鳴門北ICより神戸淡路鳴門自動車道の大鳴門橋を渡ると本州に近づく。

交通量が少ないので、例によって左右の景色を眺めながらできる限りゆっくりと渡る。
「うず潮見えないかなぁ?」
未だに未練があって、左下の海面をのぞくが見えなかった。
展望台で見るよりも、随分近くで見ているはずなのだが、
ここで見られないということは、
「今日は発生していないのだろう?」
と、あきらめもついた。
大震災の爪痕が残る淡路島
淡路島南ICで下り、
インターネットで検索した淡路島の温泉の中から
「南淡路国民休暇村」の潮騒の湯につかることにした。
湯から上がってまだ3時。
これから、阪神大震災で大きな被害に遭った北淡町に向かうことにする。

淡路島は玉葱が特産なのか?
玉葱を大量に吊るして乾燥させるための、
外壁のない屋根だけの小屋がやたらと多い。
それも土間から梁下までびっしりと玉葱が吊るされているのだから相当の数である。
そんな小屋が無数に住宅と水田の中に点在している。
玉葱畑はいったいどこにあるんだろう?

西淡三原ICから神戸淡路鳴門自動車道を走り北淡ICで下りる。
15時50分、北淡町震災記念公園に着いた。
野島断層保存館が出来たことは建築雑誌にも載ったので微かな予備知識はあった。
震災から4年が過ぎ、建築に関わる者や施主の中にも住宅の耐震性よりも、
健康住宅といった快適性を重んじられるなど、
風化してしまったような昨今ですが、
午後5時の閉館間際で平日だというのに、
ひっきりなしに続々と観光客が来るのには驚いた。

震災直後、100b以上に渡って地表に現れた断層を、
上空からの報道で見ましたが、
断層をまるごと幅15b、長さ140bの鉄骨造建物で覆って保存しようという物。
エントランスホールでは、
横倒しになった阪神高速道路から横転したトラックが出迎えてくれ、
震災直後の生々しさが蘇った。

断層は、水平に1b、垂直に50p程ずれているのが、
地面の高低差や排水溝などのずれではっきり分かる。
大地が動くことを、写真や映像ではない生々しい実物で見ることで、
地震の恐ろしさがよく実感できる。
野島断層 淡路島「野島断層記念館」
断層保存館の隣には、
断層でずれたブロック塀の屋敷内に鉄筋コンクリート造の住宅がある。
外見上は、断層がギリギリで外れているため、
たいした被害を受けていないように見うけられるが、
メモリアルハウスとして公開されている。
内部は、めちゃくちゃに散乱した台所や、
2〜3aの傾きが分かるように表示された和室など
地震の惨状が分かりやすく保存されていた。

北淡町から淡路町へは播磨灘を左に眺めながら北上、
やはり、所々に布基礎が残された空き地があったり、
建物破壊の爪痕を残した建物や、
瓦屋根を葺き直したとみられる、新しい屋根の住宅が目に付いた。

今晩は、明石海峡大橋の淡路側直下にある
道の駅「あわじ」で一泊する。
夕飯のおかずをちょっと買おうとしたが、
個人商店ばかりでスーパーがなかなか見つからない。
あきらめきれず走り続けること30分くらい、
来年開催される淡路花博「ジャパンフローラ2000」の工事現場も通りすぎて、
やっと東浦町にスーパーがあった。

時間を惜しんで、帰りは神戸淡路鳴門自動車道を一区間走って道の駅に帰る。
明石海峡大橋のアンカレイジはビルみたいにでかい。
その巨大なアンカレイジと丘陵地との間の駐車場は、
さながら台風を思わせるほどの風が吹き荒れている。
一種のビル風みたいに、もともとの強風が倍増されているようだ。

今回、雨にはほとんど困ってないが、風は避けられない。
どこへ行っても強い風ん゛吹き荒れている。
風のおかげで良いこともある。
それは、エンジンの熱が早く冷め、
窓を空けてさえおけば、以外に涼しい風が車内をビュービュー吹き抜ける。
エアコンを付けなくとも、車内で快適に過ごせる。

夜になると、ライトアップされた明石海峡大橋と、
対岸の明石の夜景は、きれいな瞬きでした。
この日は、もう旅の終わりということで、夜の移動はしない。
MASAは、「早く寝ろ!」と車に押し込めて、
KAZUと公園の灯かりを頼りにボール遊びに興じたり、
YOUと二人になりたいのに、KAZUもついてきて、
3人で夜の海辺を散歩したりして、長い夜を過ごした。
明石海峡大橋はすごい!
8月7日
朝食後、8時30分出発。
淡路ICから、いよいよ本四架橋の最後の明石海峡大橋を渡る。
しまなみ海道や大鳴門橋など、たくさんの大きな橋を渡ってきたが、
これほど大きな橋は、橋を渡っているという感覚が麻痺したようになる。
幸い、左右を見ると海なので、海上を渡っていると分かるが、
夜間では、大地を走るハイゥエィと見間違うかも知れない。
六甲山へ
神戸淡路鳴門自動車道とは布施畑JCTで分かれ、
阪神高速北神戸線を箕谷ICで下りた。
ここでちょっと寄り道して、
六甲山から神戸の街並みを眺めようと
六甲ドライブウェイをくねくね登って、凌雲台に着いた。

標高1000b程で、例によって風が強いので涼しくて気持が良い。
六甲天文館と通信館は無料で、子供たちをタダのところではおおいにあそばせる。
「回る十国展望台」は、
3層の丸い建物がぐるぐると回る展望台になっている。
てっぺんの屋上まで上がったが、
風が強くて立っているのがやっとで、景色を楽しむどころではない。

もうじき昼になるので、
「ここのレストランで食べてく〜」
と言うと
裕子は、建物の様子を眺めてから
「いやだ〜」
と言う。
こと食べることになると、裕子にお伺いをたてておかないと
後で文句ばかりでうるさいのだ。

11時30分、通行料金100円の裏六甲道路で六甲山を下りる。
たった100円なら取らなくてもいいのにと思うのは私だけだろうか?
有馬口から有馬温泉に向かう途中には、満足のいくレストランがあるだろう
と走っていくが、何もない
温泉街に入ってしまうと、ホテル旅館が居並ぶばかりでなにもない。

「だから、さっき食べてくれば良かったのに〜」
と悔やんでみてもしょうがない。
温泉街を出、有馬川沿いを北に走って探した揚げ句の果て、
結局、西宮市内のチェーンレストランで食べる羽目になってしまった。
有馬温泉なんか嫌いだ〜!
食事を終えて、もう一度有馬温泉へ向かった。
目的は言わずと知れた、日本三大古湯のひとつ有馬の湯につかるため。
温泉ガイドによると、どのホテル旅館も外来入浴不可か法外な料金ばかりで、
有馬唯一の共同浴場の『有馬温泉会館』へ向かった。
ところが、ガイドには駐車場5台になっているが、
実際には会館前には植え込みなどで駐車できなくなっている。
近くの有料駐車場に行ってみると、一般乗用車は2階に上がらなければならなく、
車高の高いこの車では駐車できないとのこと。
紹介された駐車場に行ってみると、
温泉街の外れの山の上で、温泉会館までは相当歩かなければならない。

「やめた!やめた!」
駐車場がない、ホテル旅館も殿様商売しているような有馬温泉なんかに入ってやるもんか!
と、そそくさと有馬温泉を後にしました。

行き当たりばっ旅も7日目ともなると疲れてくる。
中国道を帰る手もあるのだが、
予定では明日中に帰ればいいので、国道176号をボチボチ東に向かって帰ることにした。
一般道の運転は大変なのだが、
視界を遮る防音壁ばかりよりも、
ゆっくり通り過ぎる街並みを見ていたほうが、私も同乗している家族も楽しいのだ。
思いがけずに手塚治虫記念館へ
宝塚市内に入ると急に渋滞するようになってきた。
武庫川沿いに走る国道を分かれ、川の反対を抜けようと行ったが、
すれ違いも満足にできない狭い道で、かえって遅れたかもしれない。
やっと広い道に出たところで武庫川を渡ると、そこは歌劇場だった。

歌劇場の前にはファミリーランドがあり、
その隣りには『手塚治虫記念館』がありました。
数は寄って行きたい様子ですが、
「駐車場がないから駄目だ!」と言って国道に出ると、
手塚治虫記念館に一番近い駐車場1000円の看板が目に入りました。
「寄って行こうよぉ〜!」と言うKAZUに、YOUとMASAまでもが大合唱を始める始末で、
仕方なくうUターンをする羽目になってしまいました。
手塚治虫 宝塚市「手塚治虫記念館」
記念館の外には火の鳥の像や、
アプローチの路上には鉄腕アトムをはじめ手塚アニメに登場する
キャラクター達の手形と足形が埋め込まれていて、
私でさえ子供の頃に観たTVアニメが懐かしく思い出されました。
数々の興味をそそる展示に、時間が早く過ぎ去り一時間半も長居をしてしまいました。

16時20分、東へと走る。
中国自動車道と平行して、17時頃万博記念公園が見えてきた。
大阪万博から30年、
小学校4年生の時に近寄った太陽の塔のそばに行ってみたいと思うが、
至近に駐車場が無いようで、後ろ髪を引かれるが通り過ぎるてきた。
吹田から茨木、高槻を経て、国道171号から18時過ぎ京都に入った。

そろそろ夕飯の時間、レストランの看板を前方に探しながら走るが、
反対車線沿いには何軒も立ち並んでいるのだが、
こちらの車線沿いには、つぶれかけたような怪しい店しかない。
「なんでだー!」
怒ってみてもないものはない。
右京区を北上して、太秦、嵐山近くまでいったがファミリーレストランが見当たらない。
もう7時になってしまう。
四条通りを東へ走りながら、
「もうこれ以上なかったら、コンビニで買ってすまそう!」
と言っていた矢先、
あ・り・ま・し・た!
『カーサ』が・・・・・

浜松では、ファミリーレストランは6時から7時前後が一番込んでいる時間帯なのに、
京都では以外に空いているのには拍子抜けしてしまう。
8時過ぎて、ようやく続々お客がやってくる様子に唖然としてしまう。
京都の人たちはヨタカなのか?

実は、京都に入って右京区を中心にレストランを探したのには理由がある。
それは、有馬温泉で入り損なった風呂に入るためなのです。
温泉ガイドには大阪・京都周辺には温泉がほとんどない。
そこで、事前にインターネットのホームページで、京都の銭湯を探しておいたのです。
コンビニやファミレスならば闇雲に走っていても、すぐ見つけることができるが、
銭湯はそうはいかない。

右京区太秦、大通りから入った狭い路地にある銭湯なので、
何もなしに見つけるのは至難の技と思えるところ。
大雑把なホームページの案内図だったが、すぐに分かった。
銭湯を出ると、9時ちょっと前。
今晩の寝ぐらを探すことにするのだが、京都には心当たりが全くない。
ひとまず、東へ帰ることから、比叡山に登ることにした。

比叡山ならば、標高もある程度あって涼しいのではと考えた。
しかし、比叡山ドライブウェイは有料で、トイレ付駐車場が沿道にあるという保証はないので
比叡山を下り、湖西道路から道の駅『びわこ大橋米プラザ』に向かった。
着いたのは22時20分。
夜も遅いというのに駐車場全体が人で騒々しい。
どうやら、明日は琵琶湖花火大会のようで、前の晩から泊り込んでいる人が多いのかなぁ!
ずっと走り続けてきたが、今日も風が強いのでエンジンの熱が待っていれば冷めるのが早い。
窓とドアを全開にして、エンジンルームを空け風を通してやると早く冷める。
おおかた冷めるのを待って、おやすみなさ〜い!・・・・
琵琶湖大橋渡って帰路へ
8月8日
今日も良い天気のようだ!
そころが、西の比叡山に目をやると真っ黒い雲に覆われている。
きっと雷雨が降っていそうな雲に、比叡山で泊らなくて良かったと一安心する。
びわ湖大橋米プラザ内の展示などを眺めたのち、ゆっくりと出発。

今回の行き当たりばっ旅は、しまなみ海道を始めとして、
いくつもの大橋と名のつく橋を渡ってきたが、
琵琶湖大橋が最後になる。
大きな橋を見慣れたせいか、大橋というにはちょっと小さい。
もうここまで来れば、名神・東名高速道路をまっすぐ帰るだけ。
栗東ICから浜松西ICを経て、13時、久しぶりの我が家に戻った。
“行き当たりばっ旅”始まって以来の、総走行距離2056`の長旅になった。
折角、四国に渡りながら、駆け足で通り過ぎただけと思う向きもあるだろうが、
愛媛県一つを取っても、隅から隅まで1ヶ月あっても回りきれないだろう。
初めての地は、とにかく“行った”ということに意義がある。
その上で、気に入った所や次回には行きたい所があればまた行けば良い。
現に、長野県須坂市や小布施町には馴染みの店もあって、
数え切れないほどに出掛けている。
これが、我が家流のPキャンプスタイルだ!


使用車両 :ハイエース Multi (潟Aイズ製) 
参加者 :福夫、裕子、数(中2)、雅(小1)
総走行距離:2,056q
total燃費 : 6.6q/g
最高(長距離高速)8.02q/g
最低(冷房アイドル時)4.97q/g
使用金額 :Total 14.8万円余り(土産除く)
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